荏田の由来

「荏田」という地名の由来には、色々の説があります。

 

  1. 湿田や水源を示す言葉なので、それが由来という説
  2. 源義経に仕えた荏田源三が作った(かどうかは定かではない)荏田城(江田駅の近くに城址がある、現在立入禁止)から来たという説
  3. 源頼朝に仕えた江田小次郎という豪族が近くに住んでいたという説
  4. 新田義貞に仕えた江田三郎光義に由来しているという説(江田三郎光義は太平記の誤記で江田判官行義であるといわれている。江田行義は群馬県太田市に住み、そこに江田館があるので、場所的には違います)

いずれにしても、鎌倉時代には「えだ」と呼ばれていたようです。
(荏田か江田かは不明)

 

江戸時代には、宿場として、荏田宿と呼ばれていました。中川3丁目あたりから246号線の荏田交差点を抜け荏田本通りあたりに旅籠3軒と商家18軒があったそうです。
当時は狼が夜な夜な出て犬を襲うようなところだったそうです。(渡辺崋山『游相(ゆうそう)日記』より)

 

1868 年(明治元年)廃藩置県により神奈川県都筑郡荏田村となりました。

(ちなみに都筑郡という地名は都筑区のホームページによると、奈良時代からあったそうです。都筑郡の防人、服部於田の詠んだ歌が万葉集(755年)にも採り上げられています。)

その後の荏田の経緯としては、

1939 年(昭和14年)横浜市港北区荏田町となり、1969 年(昭和44年)港北区から緑区が分かれ、緑区荏田町となりました。

 

その後次々と再編が行われ、緑区には、荏田町、荏田東、荏田西、荏田北、荏田南ができ、港北区にも再度荏田町ができました。

 

現在の形になったのは、

1994 年(平成6年)に港北区と緑区を再編して、青葉区と都筑区を新設した時で、

当時の緑区荏田町は、青葉区(荏田町)と都筑区(荏田町、荏田南町、荏田東町)に分かれ、緑区荏田北、荏田西は青葉区に、緑区荏田南、荏田東は都筑区に、港北区荏田町は都筑区茅ケ崎中央となりました。

 

ちなみに

江田駅は駅ができた当時常用漢字に「荏」がなかったためにこの文字になったようです。